四国巡礼:風と水が紡ぐ島の記憶

はじめに:心がほどける、島の時間へ

四国――本州から海を渡って辿り着くこの島の名を聞いたとき、あなたの心には何が浮かぶでしょうか。

お遍路の白衣をまとった巡礼者の静かな歩み、腰に手を当ててすする熱々の讃岐うどん、潮の香りを運ぶ瀬戸内の風、荒々しくも美しい太平洋のうねり、阿波おどりの躍動、早朝の市場に響く土佐弁、陽だまりの中でたわわに実ったみかんの木々……。

どれもがこの地に根ざし、そして旅人の記憶の中にしっかりと刻まれていく、四国ならではの情景です。

私はこの春、そんな四国の四県――徳島、香川、愛媛、高知を巡る旅に出ました。

地図の上では近く見える町も、実際に足を運べば、海があり、山があり、時には川が立ちはだかり、まるで自然に抱かれながら歩いているような、ゆったりとした時間が流れていました。

この旅の間、幾度となく心に残ったのは、「四国は人の優しさでできている」という思いです。

道を尋ねれば、ていねいに地図を描いてくれるおじいさん。

夕暮れの漁港で、海の香りをまとったまま笑顔で話しかけてくれた漁師さん。

道の駅で出会ったおばちゃんがくれた、傷だらけだけど甘い文旦。

その一つ一つが、旅の疲れをそっと溶かし、まるで自分もこの島の一部になったかのような、あたたかさを運んでくれました。

また、四国の土地は「語りかけてくるような静けさ」があります。

それは、手を加えすぎず自然の姿を残した海辺や、木漏れ日の中を通り抜ける古道、長い歴史の中で人々が祈りを重ねてきた神社仏閣に宿る気配からも感じ取れます。

そこに立つと、今という一瞬がとても愛おしく、胸の奥に静かな熱が灯るのです。

そんな四国の魅力を、できる限り言葉にして残したい――それがこのブログを綴る理由です。

派手さこそないけれど、訪れた人の心にじんわりと沁み込むような時間が、四国には確かに存在しています。

どうかこの文章が、あなたの中の旅心をそっとくすぐり、まだ見ぬ景色への想像を膨らませる小さなきっかけになりますように。

そしていつか、四国の風に触れ、光を浴び、その地の人々の言葉に耳を傾ける日が訪れますように。

それでは、島の記憶とともに巡る、四国の物語を始めましょう。


【1】徳島:踊りと祈りが交差する青の国

朝一番の高速バスに揺られて、淡路島を越え、大鳴門橋を渡ると、眼下には渦を巻く鳴門の海。

潮流の激しさとともに、旅の幕開けを祝うかのようなダイナミックな景色が目の前に広がってきます。

徳島――四国の東の玄関口は、静かな町の佇まいの奥に、力強い魂が宿る場所でした。

まず足を運んだのは、鳴門市にある「渦の道」。

ガラス張りの遊歩道から見下ろすと、そこにはまさに自然のエネルギーが渦を巻く光景。

潮が満ち引くたびに生まれるこの奇跡のような現象は、自然が創り出す芸術のようで、しばし言葉を失いました。

風が頬をなで、足元の海が唸る――ただそこに立っているだけで、心が澄んでいくような感覚になります。

続いて訪れたのは、徳島市の「阿波おどり会館」。

毎年夏に開かれる阿波おどりは、徳島の魂ともいえる祭りですが、この施設では一年を通じて踊りの魅力を感じることができます。

実演ステージでは、鳴り響く鉦と太鼓の音、そして「ヤットサー!」の掛け声に乗せて舞う踊り手たち。

その軽やかな足取りと、どこか哀愁を帯びたメロディーに、ただのお祭りを超えた“祈り”のようなものを感じました。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」――この言葉は、観光用のキャッチフレーズではありません。

舞台の最後には、観客も舞台に呼ばれて一緒に踊る時間があり、私も思い切って輪の中へ。

はじめは照れくさかったものの、手足を動かすうちに自然と笑顔がこぼれ、不思議な一体感が生まれていました。

踊りとは、人と人との境界線をふわりと取り払う、不思議な力を持っているのかもしれません。

また、徳島は自然の豊かさにも事欠きません。

眉山ロープウェイで市街を一望した後は、県西部の祖谷(いや)へと足をのばしました。

山深い渓谷にかかる「祖谷のかずら橋」は、かつて平家の落人が追手から逃れるために造ったと伝えられる吊り橋。

足元にぎしぎしと鳴る音、眼下に流れる清流の音――命綱のような橋を渡るその瞬間、自然の中に身を置くという感覚が五感すべてを通して押し寄せてきます。

旅の締めくくりは、徳島ラーメンで。

濃厚な豚骨醤油スープに生卵を落とし、甘辛く煮た豚バラ肉がのった一杯は、体の奥まで染み込むような滋味深さ。

徳島の味は、どこか懐かしくて、優しいのです。

徳島の旅は、「動と静」が絶妙に交差するものでした。

海の渦が巻き、太鼓が鳴り響き、踊りが舞い上がるその傍らに、深い山々の静寂と、祈るような踊りの気配。

にぎやかさと静けさのどちらもが、人の営みの中に自然と溶け込んでいるのです。

この地を後にする頃には、「また来よう」という気持ちが自然と湧いていました。

派手な何かがあるわけではないけれど、人と風景の温もりが、心のどこかをずっとあたためてくれる――徳島は、そんな場所でした。


【2】香川:空と海のあいだで、うどんに恋をする

徳島を後にして、瀬戸内海を望みながら電車に揺られることしばし。

穏やかな海と山が交差する風景が広がってきた頃、「うどん県」として名高い香川県に足を踏み入れました。

香川という土地は、不思議な魅力を持っています。空が高く、海はおだやかで、人の声がどこか丸い。

日常のすぐ隣に、心がほどけていくような時間がそっと息づいているのです。

まず訪れたのは、讃岐のうどんの聖地ともいえる「うどん巡り」。

朝7時、地元の人に教えてもらった製麺所に向かい、湯気の立つ店内で一杯目を注文しました。

打ち立て、茹でたての麺は、つるりとした喉ごしと、もちもちとした弾力が見事で、噛みしめるごとに小麦の香りがふんわりと広がっていきます。

出汁は優しく、昆布といりこの旨味がじんわりと体を包むよう。

朝食なのに、心の底から「生き返る」と思えるほどでした。

讃岐うどんの旅は、まるで“食の巡礼”。

二軒目、三軒目と店を変えて食べ歩くうちに、その土地に根づく文化や人々の息遣いに触れていく感覚があります。

製麺所の片隅で食べる一杯には、観光地とはまた違う“日々の暮らしの美しさ”が詰まっていて、それがとても尊く感じられるのです。

腹ごなしに向かったのは、琴平町にある「金刀比羅宮(ことひらぐう)」。

通称“こんぴらさん”と呼ばれるこの神社は、長い石段が有名で、本宮までは785段、奥社まで登れば1368段にもなります。

ゆっくりと石段を踏みしめながら登っていくと、汗ばむ体と引き換えに、少しずつ心が澄んでいくのを感じました。

途中には、立派な大門や御神馬の像、そして時折ふっと吹き抜ける風。

その一つひとつが、参拝の道のりに彩りを添えてくれます。

そしてようやくたどり着いた本宮からの眺めは、まさに絶景。

讃岐平野が眼下に広がり、遠くには瀬戸内海のきらめきが――その風景を見ていると、「努力の先に待っているものは、時としてこんなに静かで、美しいんだな」と思わず呟いてしまいました。

そしてもうひとつ、香川の魅力として外せないのが「直島」。

アートの島として名を馳せるこの場所は、フェリーでゆるやかな瀬戸内海を渡って訪れる、まるで夢のような空間です。

草間彌生の巨大な南瓜のオブジェが海辺に佇み、ベネッセハウスミュージアムや地中美術館では、建築と自然、そしてアートが一体となった“体感する美”に出会えます。

静かな海の音を背に、空間に差し込む自然光と対話するように作品を鑑賞していると、時間の概念さえも柔らかくほどけていくようでした。

直島は、ただ“観る”のではなく、“感じる”ための場所。

そこにいる自分の輪郭さえ溶けていくような、不思議な浮遊感がありました。

帰りの船の上から眺めた夕焼けは、空と海がまるで一つになったかのような美しさ。

光の帯が水面を染め、誰もが言葉を失ってその景色に見入っていました。

香川の旅は、五感すべてが優しく撫でられるような、穏やかで豊かな時間。

ひとつひとつが、小さくても確かな幸福を教えてくれるようでした。


【3】愛媛:坂と湯けむり、そしてやさしき港町

香川から電車に揺られて西へと向かう道中、ふと車窓を流れる景色の中に、懐かしいような光景が現れました。

山のふもとに寄り添うように家々が並び、その向こうにはどこまでも穏やかな海。

そう、愛媛県――そこはまるで、幼い頃に見た絵本の中のような、あたたかく優しい時間が流れる場所でした。

まず足を運んだのは、松山市。

中でも外せないのは、やはり「道後温泉本館」です。

夏目漱石の『坊っちゃん』にも登場するこの名湯は、明治の面影をそのままに残す木造三階建ての建物が、今も湯煙を上げながら旅人を迎えてくれます。

湯船に身を沈めると、ほどよい熱さのお湯がじんわりと体にしみ込み、旅の疲れがふわりとほどけていくようでした。

湯上がりには、館内の畳の広間で冷たいお茶を一服。

軋む廊下の音、風に揺れる暖簾の影……どこか懐かしい音と香りに包まれて、ただ静かに、幸せな時間が流れていきました。

そして、道後温泉の周辺は小さな坂道と路面電車の風景が魅力的。

夕暮れ時に石畳の道をそぞろ歩けば、オレンジ色の灯りがぽつりぽつりと灯り、通り過ぎる電車の音がまるで風鈴のように心地よく響きます。

温泉街の小さな書店や雑貨店にふらりと立ち寄り、地元の人との何気ない会話に耳を傾ける――そんな時間こそ、旅の本質なのかもしれません。

次に向かったのは、内子町。

江戸から明治にかけて、木蝋(もくろう)で栄えた町並みは今もその面影を色濃く残しており、白壁と格子戸の町屋が静かに連なります。

ゆるやかな坂道を歩いていくと、季節の花が道端に咲き、どこか時間が止まってしまったような錯覚に陥ります。

特に印象に残ったのは「内子座」。

大正時代に建てられた芝居小屋で、今もなお現役で使われているというから驚きです。

中に入れば、舞台と客席が一体となったような、観客と演者が“共に空気をつくる”ような場の力を感じました。

舞台の奥にある奈落や回り舞台の仕掛けも見学でき、まるでタイムスリップしたような体験ができる場所です。

そして、愛媛の旅でぜひとも触れておきたいのが「みかん」。

地元の道の駅では、様々な品種の柑橘が所狭しと並び、それぞれに味わいが違うのがまた楽しいところ。

「せとか」や「甘平(かんぺい)」「はるか」など、名前からして愛らしいみかんたちは、口に入れると果汁がはじけ、瀬戸内の陽ざしがそのまま詰まっているかのような甘さと爽やかさが広がります。

港町・八幡浜では、のんびりと散歩を楽しみました。

海風に吹かれながら歩く海沿いの小道、どこか懐かしさを感じる漁村の風景――そこには、人々の暮らしが丁寧に息づいていて、「旅人である自分」がいつの間にか溶け込んでいくような不思議な安心感がありました。

夜は地元の小料理屋で鯛めしをいただきました。

愛媛の鯛めしは、地域によって少しずつ異なり、松山風は炊き込みご飯、宇和島風は新鮮な刺身にタレをかけて卵と共にいただくスタイル。

今回は宇和島風を選びましたが、ぷりぷりの鯛の刺身にご飯と甘辛いタレが絡み合い、思わずため息が出るほどの美味しさでした。


【4】高知:風が語る、海と龍馬と熱き心

愛媛から南へ。

車窓に広がる山々を越え、トンネルを抜けるたびに、空がどんどん広がっていくような感覚がありました。

そして、ついに高知の街へと辿り着いた時、思わず深呼吸したくなるような開放感が胸いっぱいに広がったのです。

ここは、高知。太平洋の風が吹き抜ける、土佐の国。

まず訪れたのは、高知のシンボル「桂浜」。

龍馬像が遥かなる海を見つめるその姿に、思わず背筋が伸びました。

どこまでも続く浜辺と、深い青の波が打ち寄せる様子は、まるで歴史と自然が語らう舞台のよう。

龍馬が見つめていた海の彼方には、どんな未来が映っていたのでしょうか。

桂浜の高台から海を望み、波の音に耳を傾けていると、ふと時の流れが止まったかのような感覚になります。

強くて、でもどこか切ないこの風景は、高知という土地の持つ「志」と「孤高」を映し出しているようでもありました。

その後は、「坂本龍馬記念館」へ。

彼の生涯や志、そして維新という激動の時代を知るにつれ、一人の人間の情熱がいかに時代を動かし、人の心を揺さぶるかということを改めて実感しました。

館内には、彼の手紙や遺品が丁寧に展示されており、その筆跡のひとつひとつに、まるで本人の息遣いが宿っているようなリアリティがありました。

高知市内へ戻り、「ひろめ市場」へと足を運びました。

ここはまさに、高知らしい賑わいと人情が詰まった場所。

屋台のように連なる店舗で地元グルメを選び、テーブルを囲んで初対面の人たちと語らう――そんな自由で温かな空気が、この場所には満ちています。

そして、ここでいただいた「藁焼きカツオのたたき」が忘れられません。

目の前で豪快に炎を上げながら藁で炙るカツオ。

表面が香ばしく焼かれ、中はしっとりと赤身のまま。

にんにくと玉ねぎ、ポン酢をたっぷり添えて口に運ぶと……その瞬間、旨味と香ばしさが弾け、思わず「うまっ」と声が漏れました。

翌日は、少し足を延ばして「四万十川」へ。

日本最後の清流とも称されるこの川は、まさに“心の洗濯”をしてくれる場所でした。

水面は鏡のように空を映し、川辺には小さな沈下橋がそっと架けられていて、まるで昔話の世界に迷い込んだかのような風景が広がっています。

カヌー体験にも挑戦し、静かに川を滑るように進む時間は、日常から遠く離れた贅沢なひととき。

川面に落ちる木漏れ日、鳥のさえずり、遠くで響く山の声――すべてが音楽のように調和していて、「生きてるって、こういうことなんだな」と、ふと思いました。

最後に訪れたのは、「足摺岬」。

高知県の最南端に位置するこの地は、まさに“果て”を感じさせる景観でした。

眼下に広がる雄大な太平洋、断崖絶壁の上を吹き抜ける風、そして白亜の灯台が凛と立つその姿。

ここに立つと、人の営みなどちっぽけに思えるほど、自然の力が全身に迫ってきます。


おわりに:四国という、心に染み入る風景たちへ

四国をめぐる旅を終えて、ふと胸に浮かんだのは「懐かしさ」と「温かさ」でした。

初めて訪れた土地ばかりなのに、なぜか“帰ってきたような気持ち”になれる。四国には、そんな不思議な力があります。

徳島では、踊りのリズムが血をめぐり、祖谷渓の深い緑が心を浄化してくれました。

香川では、一杯のうどんに込められた人の想いと、讃岐の大地の広がりに包まれ、瀬戸内の島々の穏やかな風景が、日々の喧騒をそっと癒してくれました。

愛媛では、道後温泉の湯に心と体を預け、松山城の歴史に触れた時間が、日常とは違うゆるやかな時を与えてくれました。

しまなみ海道の風、自転車で走るときの爽快感は、今でも体の中に残っています。

そして高知。

海が語る物語、龍馬が見上げた未来、ひろめ市場の活気、四万十の静けさ、足摺岬の孤高。

一つ一つの風景が、そのまま詩になりそうなほど、美しく、深く、心に沁みました。

四国という土地は、決して派手な観光地ばかりではありません。

けれど、そこに暮らす人々の温かさ、自然の懐の深さ、歴史の静かな重み――それらが、旅人をやさしく受け入れ、そっと背中を押してくれるような、そんな優しさにあふれています。

旅の終わりは、いつも少しの寂しさを伴います。

でも、それは“また戻ってきたい”という証でもあるのです。

四国の風景や人々に触れたこの旅は、きっと私の中で長く残り続け、折に触れて思い出す“心の風景”になるでしょう。

ありがとう、四国。

またいつか、ふと風に誘われるようにして、この島に帰ってきたいと思います。

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